Ⅰ 20年のあゆみ

静岡がんセンター・ファルマバレープロジェクトのあゆみ

静岡がんセンター総長 山口 建  

 はじめに

静岡県立静岡がんセンターは、1994年7月、創設に向けての検討が始まり、8年間にわたる準備期間を経て、2002年4月に開設の運びとなりました。母体となる医療機関がなく、開設準備を担当した静岡県職員と少数の医療スタッアの業務は困難を極めましたが、「理想のがん医療を目指して」をテーマに開設にこぎ着けることができました。
 開設後の20年問のあゆみの中で、静岡県民を中心に数万人の命を救うとともに、患者家族支援体制を整備した国内の三大がん拠点の一つに成長し、日本のがん医療やがん研究に大きく貢献し、現在に至っています。   
 静岡がんセンターの開設に合わせてスタートしたファルマパレープロジェクトは、センターを核とした医療健康産業の活性化と医療城下町形成が目標でした。プロジェクト支援のためのファルマパレーセンターは、当初、がんセンター内に設置され、2016年にがんセンターの隣地に移転し活動を続け、初期の目標をほぼ達成することができました。今後は、プロジェクトの一環として、住民重視の医療田園都市構想を推進します。
  本稿では、静岡がんセンターとファルマバレープロジェクトについて、下図のように「創設準備」の8年間、そして現在に至る20年間のあゆみを「創設期」「成長期」「発展期」「現況」に分け、「未来~再び理想を目指して」を考察し、その折々の写真を合わせ、概説していきたいと思います。

        創設準備から現在に至るまでの主な出来事

 

 創設までの道のり

きっかけ
 20世紀後半、静岡県では高度先進医療の充実が課題とされており、1988年7月に策定された「静岡県地域保健医療計画」にはがんセンターの設置が盛り込まれたものの、具体的な動きにはつながりませんでした。
 1994年7月、東京、築地の国立がんセンター(当時)で手術をけた杉山憲夫衆議院議員は、「静岡県民に最先端の医療を受けてもらいたい」との思いに駆られ、医師団の一人で友人でもあった筆者の考えを問いました。私は、「容易な話ではない」と答えましたが、杉山議員の思いは強く、手術直後に見舞いに訪れた石川嘉延知事にその考えを告げました。石川知事は、「多くの現役世代ががんで命を落としている」と痛感しており、同時に、高齢化によりがんを患う県民が増加していることを憂慮し、「がんセンター設置では静岡県は他県に比べ一周遅れだが、できるだけのことをして良い施設を作りたい」と筆者の協力を求め、県庁内での検討が始まりました。

計画策定
 がんセンターという高度専門医療機関を静岡の地に設置するには、多くの困難を克服せねばなりません。決定せねばならない主な課題は、施設概要、建設地、予算、施設設計・建設、医療スタッフ確保、医療機器整備、運営組織など多岐にわたりました。
 1994年以降、静岡県庁の古橋三明氏、鈴木東悟氏と筆者は課題整理を始めました。ここで、「21 世紀に大枚をはたいて県立病院ーつを作るだけで良いのか?」という疑間が呈され、それに対して「がんセンターを核として医療域下町を形成し、医療健康産業の活性化を図る」という案が出されました。筆者は、「二兎を追うのは大変だが、医療健康産業は超高鈴社会を迎える我が国では右肩上がりの産業」と考え賛成し、こうしてがんセンター計画の骨格が固まりました。
 1995年10月には、静岡新聞社社長の大石益光氏を会長とし、国立がんセンター総長経験者、県議会議員、医師会等県内有識者、医師で作家の渡辺淳一氏などが参加した静岡県がんセンター基本構想検討委員会が設置され、翌年3月、「最新で適切ながん診療」「患者の視点の尊重」「がん対策の中枢機能」「医療モデル地域の創設」などが提言されました。
 1996年には、静岡県の坂本由紀子副知事を委員長とする基本計画策定委員会が設置されました。基本計画では、より具体的な数値を盛り込む必要があり、実務に長けた医療コンサルタントとして、設計、運営を担当する(株)システム環境研究所、医療機器整備を担当する(株)シップコーポレーション(現シップへルスケアリサーチ&コンサルティング(株) )、電子力ルテ導入を担当するアライドメディカルアソシェイツ(株) (現データインデックス(株) )の3社と業務委託契約が結ばれました。また、米国の病院管理コンサルタントのアンディ二宮氏のアドバイスも受けました。各社は、全国のがんセンター等を対象とした調査を実施し、施設規模、機能、医療機器、医療情報システムなどの概要を固めました。こうして1997年3月、「理想のがん医療を目指して」とい う副題が付けられた「静岡県がんセンター(仮称)基本計画」が決定されました。その基本方針は、「患者視点を重視した最新・適切ながん治療の実践」「地域医療への貢献」「県内がん対策の中枢機能」「経営努力」「地域活性化」という5項目で、このうち、地域活性化に向けた取り組みとして「富士山麓ファルマバレー構想」が記述されています。
 ファルマバレープロジェクトの具体的な計画案は、2001年2月富士山麓先端医療産業集積構想(富士山麓ファルマバレー構想)として策定されました。そして、2002年3月には次の5 年間の行動指針となる第1次戦略計画が策定され、その後、5~10年単位で改定され、現在、第4次戦略計画が実施されています。

静岡がんセンターの基本構想、基本計画および富士山麓ファルマバレー構想。
基本構想、基本計画は本書重要資料に転載

開設準備室
  1994年度からの少人数での準備期間を経て、1996年4月、古橋三明氏を責任者として保健衛生部にがんセンター建設準備スタッフが配属されました。翌年、基本計画の実現に向けて、改組された健康福祉部に10名の職員からなるがんセンター建設準備室(大野耕一郎室長)が設置され、業務量に応じて年々増員し実務を進めました。2000年4月には、がんセンター開設準備室(大須賀淑郎室長)に改組され30名規模の人員となり、2001年4月には、がんセンター開設総室に改組され、70名規模で1年後の開設に向けた準備を進めました。

施設規模
 施設規模については、まず病床数が議論になりました。「他県のがんセンターと比較して、静岡県の場合400床程度が妥当」という意見も強かったのですが、静岡県東部の医療状況は十分ではなく、将来のがん患者増加にも対応できず、また、特徴のないがんセンターでは医療スタッフ確保も困難だと思われました。 こでは石川知事の強力なリーダーシップのもと高度がん専門医療機関にふさわしい病院規模が確保され、研究所、疾病管理センターの設置も実現しました。
 その一方で、医療法上の病床確保は大きな課題となりました。地域では、住民や患者の数に応じて病床数に規制があります。静岡県東部には慢性疾患やリハビリテーションのための医療機関が多く、がんセンターの病床確保には難渋しました。しかし、多数のがん患者が東京都や神奈川県に流出しており、その数を勘案して、最終的には、必要な病床数615床を確保することができました。なお、この中には、小児がん患者・家族の声を受け、最初、予定していなかった小児科9床が含まれました。

医療スタッフ確保
  施設の理念を念頭に、医療スタッフは、”経験豊富で科学的探求心に富んだ心優しい人材”を全国から募りましたが、開設時に必要となる医療スタッフ400名近くの確保は、ともかく大変な作業でした。
 病院では国内最大規模となる36診療科の整備を進めました。各診療科部長は国立がんセンター(当時)をはじめとする全国のがんセンターや大学病院や総合病院から募り、部長の裁量で若手の医師を集める形をとりました。その実力は、1/3は世界・日本のトップレベル、1/3はがんセンターにふさわしい技術を有し、残りの1/3は、若手成長株でした。
  看護師については、県立病院から開設準備室に配置された数名の看護師により採用計画が進められ、静岡県のみならず全国から優秀な人材を募りました。静岡がんセンターで目標とした多職種チーム医療には看護力の強化が必須と考え、1998年10月からは看護指導者養成のために、国立がんセンター中央病院(当時)への看護師派遣を開始し、その後も、全国6病院に総計84名を派遣し、1年間の研修を受けるようにしました。
 薬剤師、各種技師、栄養士、社会福祉士、臨床心理士などのコメディカルや、診療情報管理士、図書館司書、ボランティアコーディネータなどの特殊技術者も全国から人材が集められました。事務局、マネジメントセンター職員については、静岡県職員を中心とした人事が行われています。

建設予定地
 計画が発表されると静岡県内の多くの市町が誘致に乗り出しました。そこで、県がんセンター建設場所検討委員会が設置され、「高度医療機関の配置が手薄な東部地域」「交通の要衝」「富士山や駿河湾を望める良好な療養環境」などの立地条件を満たす場所として、1996年3月、静岡県験東郡長泉町下長窪地域が選ばれました。用地は123ヘクタールと広大で、緑も多く、患者の癒やしの場となりました。開院後、「この地には富士山の気が満ちて心が安らぐ」との感想が患者から寄せられました。

建設予定地。田畑が広がる丘陵地。下は県立長泉高校(1995年12月)
          高松宮妃殿下のご視察。当日は濃霧だった。妃殿下の左に石川知事、右に大野準備室長、柏木長泉町長、鶴田保健衛生部長

              

 1997年3月には、徳川慶喜公の孫として静岡県とのゆかりがあり、高松宮妃癌研究基金の名誉総裁としてがん医療にも造詣が深い高松宮宣仁親王妃喜久子殿下が現地を御視察されました。当時、筆者は妃殿下の健康管理を担当しておりそのご縁もありました。このことが契機となり、長泉町は皇太子同妃両殿下(現天皇、皇后両陛下)の御静養場所に選ばれています。また、開院祝賀会への寛仁親王同妃両殿下の御臨席、さらに、開院後の皇太子殿下(現天皇陛下)や秋篠宮同妃両殿下の御視察も実現しました。

病院機能
 病院機能や設計に向けては、開設準備室と病院経営コンサルタントが協働し、がん医療関係者の意見を聞き取り、具体化を進めました。筆者は、1999年に完成した国立がんセンター中央病院(当時)新棟の設計を担当し、世界の数十の病院を視察しており、その経験が大いに役立ちました。例えば、米国癌研究所の友人からヒントを得た「国立がんセンターは研究志向、静岡がんセンターは患者志向」という考えやスウェーデンのカロリンスカ病院やハワイのクアキニリハピリ病院で学んだ多職種チーム医療などは、静岡がんセンターの理念である「患者視点の重視」「多職種チーム医療」の原点となっています。
 静岡がんセンターの機能としては、高度先進医療の実践と患者・家族の心の調和、そして50年以上、使用できる施設柔軟性を重視することとしました。このころ、静岡県では東海大地震に備えた防災意識が高く、当時は大規模施設には珍しかった免震構造が全面的に導入されました。
 建物外観については、石川知事から富士山を背景として違和感がないようにとのアドバイスを受けており、丘の上に立つリゾートホテルのイメージを追求することにしました。施設外壁は、薄い桜色、タイル張りとし、病院内部も外観に合わせ、優しい色使いに徹しました。同時に、がん患者の心を明るくさせる「光」を重視し、病院のどの場所でも、患者の眼前に常に「光」を感じられる設計を心がけました。 

富士山を背景に完成した静岡がんセンター    日本最大の緩和ケア病棟

療養環境では、がん患者のアメニティを考え全病床615床の半数を個室、他はすべて2床室とし、特殊な病棟以外は42床を1単位とし、医療安全への配慮から、医療スタッフ動線の短縮を目指した病棟設計としました。
 また、患者・家族にとって異界ともされる病院への抵抗感を和らげるため、癒やしの環境整備を心がけました。ガーデンホスピタルとして、庭園には、「しずおかガーデン日本大賞」を受賞した英国庭園を移設し、1,000本のバラが植えられたバラ園を配置し、病揀周りも含め190本の河津桜を植えました。河津桜は早咲きで、患者・家族に1カ月早く、満開の桜を愛でてもらう趣向です。アートホスピタルも追求し、若手芸術家の作品20点を院内に展示し、日本美術家連盟から寄贈された絵画208点を病棟などに配置しました。ミュージックホスピタルとしても、ヤマハ株式会社から寄贈されたグランドピアノが、20年間、毎朝夕、ピアノ曲を自動演奏しています。
 従来のがんセンターにはない特徴ある病院機能としては、大規模手術部門とMEセンター、充実した内視鏡・画像診断・臨床検査・病理部門、放射線治療部門、通院治療センター、そして我が国最大の緩和ケア病棟などが挙げられます。また、全人的医療を追求する観点から、がん治療に伴う副作用・合併症・後遺症のための内科系総合診療部門と心のケアを担う踵瘍精神科が設置されました。さらに、社会復帰を重視し、歯科口腔外科による口腔ケア、リハビリテーション科による身体機能維持強化、再建・形成外科による機能回復、皮膚科・眼科などによるがん薬物療法副作用改善などの実践体制を整えました。これまでの病院との設備上の大きな差異は、院内情報システムとしての電子力ルテ導入と医療用物品の管理・配達を一元的に行うSPD (Supply, Processing & Distribution)システムの構築でした。
 建設に向けての具体的な動きとしては、1997年12月に着手された基本設計が1998年12月に(株)横河建築設計事務所のもとで完了し、それを受けて1999年5月に着手された実施設計も9月には完了し、2000年2月、安全祈願祭が執り行われた後、建設工事が開始され、2002年3月、病院棟、緩和ケア病棟、陽子線治療施設、エネルギーセンター、宿舎、保育所などが完成しました。病床数は615床、延べ床面積は7万6千平米、1病床あたりの面積は124平米と当時の医療機関としては群を抜く広さとなり、将来の医療機能の進歩に対応した柔軟な設計により50年間は使用可能な施設を目指しました。最終的に、施設建設に要した費用は、用地買収費を含め約366億円でした。

医療機器整備
 高度がん専門医療機関にふさわしい医療機器については、全国のがんセンター などの実情を調査するとともに、準備室在籍の医療スタッフや採用予定者などの意見をもとに医療機器・施設整備が進められました。診断部門では、最新鋭のP T検査、CTスキャン、内視鏡機器などが導入され、治療部門でも、大規模な手術室、最新の放射線治療装置、IVR治療機器等の整備を進めました。
 陽子線治療装置については、焼津港を母港とし、ビキニ環礁での水爆実験で被爆した第五福竜丸を思い、原子力の平和利用という観点から原田昇左右衆議院議員の発案で整備が進められました。導入検討委員会を設置し、機器を選定し、最終的には当時の科学技術庁長官、竹山裕参議院議員の支援もあって整備が実現しました。
  なお、病院開院時点での医療機器整備費総額は約118億円でした。

広報戦略
 静岡がんセンターは、全くの白紙の上に作られる医療機関で、患者に訪れてもらうには、静岡県民や他の医療機関にその存在を知ってもらわねばなりません。そのため、広報活動には力を入れました。がんセンターやファルマバレープロジェクトに関する進捗状況は常にメディアに提供し、軸道してもらうよう心がけました。
 その一環として、1998年から開院まで、アジアや欧米の国々からがん医療の専門家を招き、静岡がんセンターに「アジアの智慧」を取り入れるため「静岡アジアがん会議」を開催しました。ネパールから出席した看護部長の「看護師は死にゆく人のべッドサイドで何時間も手を握っている」という言葉は「患者に寄り添う医療」としてセンターの看護に生かされています。 

第1回静岡アジアがん会議の論文集(2002年3月発行)

運営組織
 センター運営組織としては、最高意思決定機関として静岡がんセンター管理会議(その後、経営戦略会議と名称変更)を置き、その下に病院、疾病管理センター、研究所、事務局の4部門を設置し、別組織のファルマパレーセンターと合わせ「医療・保健行政・産業活性化機構複合体」として設計しました。それぞれの部門の役割は、若い職員の言葉も人れて「患者に尽くす世界一のがんセンター病院」「県民のためのがん対策拠点」「地域の医療健康産業の活性化」としました。事務局とマネジメントセンターには、この複合体をしつかり支える役割が当てられました。
  マネジメントセンターは他に例を見ない組織です。縦割りになりがちな医療機関組織の硬直化を防ぐため、経営戦略会議の元に、横串の機能として位置づけました。具体的な業務としては、戦略決定、経営努力、危機管理、広報、静岡県庁との連携などを担当しましたが、20年のあゆみの中で、長期的な将来計画や新型コロナウイルス感染症などの危機管理において重要な役割を果たす部門に成長しています。

                                    
 創設期(2002 ~ 2008年度)

開院準備-基本理念と患者への約束­-
 2002年4月1日、石川嘉延知事を開設者とし、総長兼研究所長兼疾病管理センター長、山口建医師(前国立がんセンター研究所副所長)、病院長 鳶巣賢一医師(前国立がんセンター中央病院総合病棟部長)、事務局長  荻原傳氏以下、416名の職員が赴任し、静岡がんセンターが開設されました。翌日、職員は、まだ庭園の整備が続けられている病院建物に並び記念撮影をし、その後、隣接した長泉高校の体育館で職員全員参加のオリエンテーションが行われました。

全職員参加のオリエンテーション。長泉高校体育館(2002年4月2日)

看護部幹部職員の挨拶。左から、戸塚規子副院長兼看護部長、青木和惠副看護部長、濱口恵子副看護部長、鶴田清子看護師長、金岩眞須美看護師長

 

 2002年6月には地方公営企業法の全部適用を骨子とする「静岡がんセンター事業の設置等に関する条例」が県議会で承認され、がんセンター局が新設され、局長に植田勝男氏が就任しています。また、静岡がんセンター労働組合も新設され、院内ボランティアグループ「せせらぎ」も教育訓練を終えた75名で活動を開始しました。
 病院の診療開始日は、9月6日と定められ、各部門では診療のためのシミュレーションが繰り返されました。病院運営のためのマニュアルは完成していましたが、細部は未決定で、特に、大規模病院としては世界初の紙カルテを持たない電子力ルテシステム(富士通株式会社)の習熟には多くの時間が費やされました。また、センター管理会議は、朝夕2回開催され、様々な課題解決に取り組み、事務部門は、昼夜兼行で病院運営のための事務処理に没頭する毎日でした。
 開院準備の期間、過去に例がない「患者志向」の医療機関としても職員の意識改革の徹底が図られました。
 第一は、基本理念である「患者さんの視点の重視」で、医療スタッフのみならず事務局職員や業務委託職員に至るまで、一人一人が、患者に学び、患者に寄り添う診療を心がけるとともに、がんよろず相談や患者代弁者制度を運用することを周知しました。センター内には多数の患者投書箱を置き、患者・家族の苦情に速やかに対応する仕組みも構築されました。開院後、がんよろず相談を取材したあるメディアは「心通う対話の実践」と表現しています。
 第ニは、当時、全国的にはほとんど知られていなかった“多職種チーム医療”の具現化です。このシステムは、患者・家族の心のケアを含む全人的医療につながる静岡がんセンターの最も重要な課題でした。一人の患者・家族を中心に置き、担当医、異なる診療科の医師、看護師、薬剤師、各種技師などの医療スタッフや
医療スタッフ以外の関係者が一丸となって最善の医療を提供します。この体制では、患者は、すべての職員が自分のためにベストを尽くしていると感じ、患者満足度が向上します。また、医師の負担が減り、診療に専念することが可能となり、さらに、医師以外の職種のやりがいが増しました。このシステムを強化するため、診療の組織図とケアの組織図を分けて作成し、「診療は医師、ケアは看護師とコメディカル」というテーマの徹底を図りました。なお、多職チーム医療には、患者診療情報の共有が可能な電子力ルテが大きな力を発揮しました。

多職種チーム医療の概念図

 第三に、職員間の連携を重視し、幹部からのトップダウンの指示とともに、職員からのポトムアップの報告、提案を重視し、それを円滑に進める仕組みを構築し、患者からの苦情・意見対応を合わせ、リスクマネジメント・医療の質コントロール室が取り仕切ることにしました。この仕組みは、診療の効率化とともに、医療安全上にも有効でした。
 このような準備を進めた上で、病院の基本理念である“患者さんの視点の重視”に加え、患者への約束(理念)として・がんを上手に治す”、“患者さんと家族を徹底支援する”、“(職員が)成長と進化を継続する”を掲げました。これは、がんの病巣を治すだけではなく、様々な負担や悩みに苦しむ患者・家族を支え、“全人的医療”を目指すという主張です。この主張に沿って、シンポルマークは富士山と浮かぶ雲で“心”という文字を形取り、庭園の“心の池“を合わせ、患者・家族の心、職員の和の心、そしてがんと闘うファイティングスピリットを表しました。

静岡がんセンターのシンボルマーク 静岡がんセンターの「心の池」

 病院の診療開始準備が進む中、がんよろず相談では医療社会福祉士と看護師が、電話相談を中心に県内患者・家族からの相談への対応を始めました。我が国初の試みにどの程度の相談があるか不安でしたが、想定をはるかに超える相談が寄せられ、開院に向けて手応えを感じました。診療開始の一カ月前からは、医療連携室や医事課が地域病院や患者からの診療予約業務を開始しました。また、この時期、静岡県民を対象とした館内見学会を催したところ、想定人数をはるかに超える1万人以上が訪れています。
 開院準備がほぼ完了した8月28日、寬仁親王同妃両殿下御臨席の下、開院式が挙行されました。また、この機会に、皇室に伝わる書道、有栖川御流の継承者であられる高松宮妃殿下により揮毫された「静岡がんセンター」という石碑の除幕式が行われ、開院準備が整えられました。

 

 

 

 

 

 

静岡がんセンター病院開院式。

寛仁親王殿下のご挨拶(2002年8月28日)

 

 

 

 

 

寛仁親王同妃両殿下のご視察。

緩和ケア病棟別棟

 

開院式パーティーにて。寛仁親王同妃両殿下の左に石川知事、筆者、右に杉山憲夫代議士  高松宮妃殿下揮毫による命名碑

開院後の各部門の活動
 2002年9月6日、静岡がんセンター病院は313床で開院しました。初日の外来患者数は97名、入院患者は2名でした。開院後も、診療や研究上で重要な機能の整備が進められています。2003年3月、倫理審査会および臨床治験管理室が設置され、4月には東京電力(株)の寄贈による小児がん患者の家族のための宿泊施設「ひまわり」が完成しました。8月からは高精度がん検診を提供する人間ドック、“がんドック”が始まり、10月からは陽子線治療が開始されています。2005年4月からは診療情報管理室により院内がん登録がスタートし、センター内で診療実績が共有されるようになりました。
  高度がん専門医療機関としての外部組織による認定も相次ぎました。2003年7月には病院機能評価機構による認定、8月には厚生労働省による地域がん診療拠点病院の認定、また、12月には全国がん(成人病)センター協議会への加盟が承認されました。このうち、地域がん診療拠点病院については2006年8月、都道府県がん診療連携拠点病院への格上げ指定がなされ、県内医療機関におけるがん診療強化を推進する立場となりました。
 人材育成については、2003年より医師・歯科医師レジデント制度が開始され、2008年には若手の看護師やコメディカル育成のための多職種がん専門レジデント制度が創設され、今日に至っています。
 研究所は、センター開設以降、病院内に分散して研究活動を始めていましたが、2005年11月研究所棟が完成し、ファルマパレープロジェクトの推進と病院診療機能の支援を使命として、基礎・臨床研究6部、看護研究2部、および3室体制で活動を開始しました。研究所の一角には、医療スタッアのための医学図書館が設置されました。

新築された研究別棟(2005年11月) がん体験者の悩みや負担等に関する実態調査報告書(2004年6月初版発行

 

 看護研究部門は患者家族支援研究としてがん生存者研究を実施する日本初の部門ですが、2003年に、全国のがん患者を対象に行ったアンケート調査、「がん体験者の悩みや負担等に関する実態調査報告書ーがんと向き合った7,885人の声』を取りまとめ、全国の医療関係者や患者やメディアから高い評価を受けました。ある医療専門家からは「誰もが重要だと考えるが、誰も実施できなかった調査」と評されました。その後、この成果をもとに、がんよろず相談のデータも加味し、がん患者、家族の悩みや負担に関する700項目にわたる静岡分類が完成しました。現在、全国のがん診療連携拠点病院や患者会などでの活用が図られています。管理センターでは、開院後、がんよろず相談に想定をはるかに超える多数の相談が集中し、医療社会福祉士を増員し、対応することになりました。また、2003年8月からは県内市町を訪れて実施する出張がんよろず相談を毎年7回開催しており、2019年までに138回、500件弱の相談に対応するとともに、市町の保健行政担当者との意見交換により、地域のがん対策状況の把握に努めました。

がん患者・家族の悩み・負担の静岡分類。4つの柱

 

 患者図書館は、伊豆湯ヶ島で育った作家、井上靖氏とのご縁で「あすなろ図書館」と名付けましたが、「明日、治ろう」という意味が込められています。看護師長を責任者とし、図書館司書を置き、患者・家族への情報提供を積極的に行う初めての試みとして全国的に注目されました。患者図書館の重要な役割は、がん患者への情報提供のため積極的なコンテンツ作成に従事したことです。がん治療に伴う身体症状や暮らしの負担を和らげるための工夫、患者家族集中勉強会、静岡県内メディアとの協働で実施した一般向けがん講座などを、小冊子、資料集、ビデオなどの形で公開に努めてきました。その数は現在487点に上っています。

患者のためのあすなろ図書館 静岡がんセンター作成の各種小冊子

 

 その一環として、栄養管理室が中心になって2007年に発刊した「抗がん剤・放射線治療と食事のくふう(女子栄養大学出版)』は10万部に近いベストセラーとなり患者の支持を集めています。さらに、2007年11月、大鵬薬品工業(株)と共同でウエプサイトSURVⅣORSHIP.JPを立ち上げ、この書とともにセンター作成の各種小冊子十数種類を公開し、現在に至っています。
 県民のためのがん対策機能では、静岡県がん診療連携協議会を事務局としてとりまとめるとともに、2005年10月には全県の小学5年生75,711名にたばこの害を訴える下敷きを配布し、今日まで毎年継続しています。

静岡県内の小学5年生に配布を続けている防煙下敷き

 

 静岡がんセンター病院では、最善のがん医療により約6割の患者の命を救っています。しかし、残りの約4割は延命の後、残念ながら死に至ります。センターでは、支持療法や緩和ケアを駆使し、最終段階では「死の質(Quality of Death,QOD)」を高め、最期を看取ることを重要な使命としています。開設以来、毎年1,000名以上の患者の最期を看取ってきましたが、遺族ケアの一環として、事務局により毎年1~2回、数百名の遺族の出席を得て、慰霊を開催してきました。

慰霊祭の風景。ベルフォーレ長泉にて

 

 静岡がんセンターの患者の視点を重視した様々な活動は、医療機関の新しい潮流として注目を集め、全国の行政機関、医療機関、メディアなどの視察、取材が相次ぎました。2003年9月には秋篠宮同妃両殿下が静岡がんセンターを御視察になりました。同月、静岡がんセンターの設置を記念して日本対がん協会がん征圧全国大会が静岡で開催され、多くの出席者ががんセンターを訪れました。海外からも米国、英国、ドイツ、中国、韓国などから多くの訪問団が訪れ、特に、韓国からは、ソウル4大病院のうち3病院の幹部が、がんセンター設置のための情報収集に訪れています。

秋篠宮同妃両殿下のご視察。陽子線治療のご説明(2003年9月12日)©静岡新聞

 

 開院後、センターでは本格的な医広報に取り組みました。医療スタッフを中心に、新たながん医療への取り組みをメディアに提供し、国民や静岡県民への情報提供を進めました。 疾病管理センター担当の「静岡アジアがん会議」は、2003年以降、ファルマバレープロジェクトの推進を主なテーマとする「静岡がん会議」へと発展させ、毎年開催しています。さらに、住民や患者への啓発活動として、2004年度以降、静岡がんセンター公開講座(静岡新聞社主催、静岡がんセンター等共催、スルガ銀行特別協賛)を毎年7回開催し、内容を紙面で公開しています。

静岡がんセンター公開講座。会場風景

ファルマバレープロジェクトへの取り組み
ファルマバレープロジェクトでは、「ものづくり」ひとづくり」「まちづくり」「国内・海外展開」がテーマとされました。その実施主体として、2003 年4月、ファルマバレーセンターが静岡がんセンターの一角に設置され、協和発酵工業(株)で抗がん剤の開発部長を務めた井上謙吾氏が初代所長として就任し、総勢6名で活動を開始しました。その後、2005年11月、完成した研究所棟に移転しています。また、2006年には静岡県庁で土居弘幸理事を責任者とするファルマバレープロジェクトチームが結成され、プロジェクトの推進体制が整備されました。

ファルマバレーセンターの開所。井上謙吾所長(左)と筆者(2003年4月1日)©静岡新聞社

 

 ファルマパレープロジェクトにおける「ものづくり」では三つの柱を立てました。静岡がんセンターでの研究成果に基づくトランスレーショナルリサーチ(橋渡し研究)、医療スタッフや患者のニーズを製品化する課当解決研究、そして、製品化された医療機器の次世代機開発を、医療スタッフのアドバイスをもとに推進する企業支援研究です。さらに、医療現場を見る機会がない企業の研究者が製造した製品の使用状況を知る機会も準備しました。橋渡し研究の成果には時間がかかりましたが、課題開発研究の成果はサンスター(株)との共同研究による低刺激ロ腔ケア製品をはじめ160にのぼる製品群に具体化されましたまた、企業支援研究についても、富士フィルム(株)との共同開発製品として類似症例検索システムが、また、富士レピオ社、アポット社等との協働で、肺がん診断薬ProGRPの世界展開製品が完成しました。
 ファルマバレーセンターは、地域企業の育成にも力を注ぎました。すでに医療電康産業に従事している、あるいはこれから参入を希望する地域企業に対し、医療機器開発企業出身のコーディネーターが製品開発やISO等の認証収得を支援しました。また、「ものづくり、ひとづくり」を併せて、県内大学や高等専門学校との連携を進め、さらに、2004年6月には首都圏の東京工業大学、東京農工大学、早稲田大学との包括的事業連携協定を結び、各大学が静岡がんセンター研究所内に研究室を置き、活動を始めました。
「まちづくり」については、がんセンター、ファルマバレーセンター所在地である長泉町が活発に取り組み、成果を上げています。長泉なめり駅の開業や新東名高速道路の長泉・沼津インターチェンジの設置を実現し、周辺道路整備や企業誘致も進み、新たな商圏も生まれました。
 2005年7月には伊豆の温泉施設の活性化を図り、「心の幸せ寿命をのばす」ための良質の温泉とおもてなしを前面に打ち出した「かかりつけ湯協議会」を発足させ、現在、の旅館が加入しています。

 成長期(2009~2015年度)

川勝知事による強化
 2009年7月、静岡県知事に就任した川勝平太氏は、静岡がんセンター開設者として、きらなる強化に乗り出しました。2009年4月には外来患者用の立体駐車場が新設され、同年11月には新管理棟が完成し、センター管理部門や医療スタッフの居住部門を移転させ、病院内の空いたスペースに化学療法センター、臨床治験管理室などを設置しました。 

立体駐車場完成(2009年4月) 新築された新管理棟(2009年11月)

2010年8月には皇太子殿下(現天皇陛下)が行啓され、ボランティアの方々は励ましのお言葉を賜りました。同年11月にはモンゴルの大統領夫人が訪間され、夫人が代表を務めるNGO「HOPEがんのないモンゴル」との間で連携協定が結ばれました。

皇太子殿下(当時)のご視察。柿田川ホールにて(2010年8月3日) ボランティア代表内海美代子氏への励まし

 さらに、2012年9月にはがんよろず相談をはじめとする患者家族支援の活動に対し日本対がん協会の朝日がん大賞が授与されています。

モンゴルのがん対策財団と静岡がんセンターとの連携。左からモンゴル大統領夫人、川勝知事、筆者(2010年11月19日)

 

 

朝日がん大賞の授与(2012年9月14日)

 

電子カルテシステムの更新作業(1月1日午前8時)。鳶巣病院長(右端)、古田副院長(左端)、池谷マネジメントセンター長(左から4人目)ほか、情報システム課職員

病院部門の活動

 病院部門では、病床数は569床へと増床され、2010年1月には日本アイ・ビー・エム(株)製の新電子カルテシステムが稼働しました。数年に一度の電子カルテ更新作業は正月休みに実施する病院挙げての大事業でした。2011年9月には手術支援ロポット“ダ・ヴィンチシステム”が導人され、これを契機に静岡がんセンターは日本のロポット支援手術の最先端病院として成長していきます。2013年8月には世界初のIVR用320列CT血管撮影装置が導入されより質の高いIVR治療を実現しました。さらに、2015年6月には日本初の小児・AYA世代病棟が設置され、小児がんやAYA世代のがん患者の療養環境が大きく改善されました。同年9月には、放射線・陽子線治療のための新棟が増設され、日本有数の放射線治療施設が整備されています。
拡充された化学療法センターには静脈投与薬剤を準備するハザード室が置かれ薬剤師が効率的に働く環境が整備されました。各部署では、多職種チーム医療推進の観点から、放射線技師、臨床検査技師、病理検査技師、リハビリテーション技師などが中心となって、診療活動を担いました。
 内視鏡、画像診断、臨床検査、病理などの診断部門も充実し、三大がんセンターの一つとして、ふさわしい機能、規模を持つようになりました。これらを駆使して実施されるがんドックでは、4,000名あまりを対象とした継続検診により7.3%で腫瘍性病変を検出し、その83%が病期0~1期という優れたデータが得られています。
 診療機能の充実とともに患者家族支援体制の整備も進みました。2012年4月には、医療社会福祉士中心のがんよろず相談と並ぶ患者家族支援部門として、看護師主導の患者家族支援センターを創設し、以後、全人的医療実践のための包括的患者家族支援体制の構築を進めました。

がんよろず相談 受付 患者家族支援センター 受付

 

 このような取り組みが評価され、2013年4月、病院は厚生労働省によって大学附属病院以外では数少ない「特定機能病院」に承認されています。
 人材育成については、2009年6月、病院立としては初めての認定看護師教育課程が皮膚・排泄ケア分野を皮切りに開始され、その後、数年をかけて、緩和ケア、がん化学療法看護、がん放射線療法看護、乳がん看護を追加し、がん関係5分野を擁する日本最大の教育課程に育ちました。看護部門では、地域の看護大学の学生研修を積極的に受け入れています。また、2013年4月からは、医師が大学院教育を受けるための慶應義塾大学医学部との連携大学院制度が開始され、その後、連携先は、大阪大学、静岡県立大学、慶應義塾大学医療看護学部、慈恵会医科大学、日本大学医学部などに広げられました。

認定看護師教育課程の開講式(2014年9月1日)

 

 この時期、2011年3月11日、東日本大震災が東北・関東地方を襲いました。静岡がんセンター本体は、免震構造の効果もあってか大きな被害は受けませんでしたが、電子力ルテの医用画像情報システムに障害が生じ、復旧までに半日を要しました。また、3月15日から翌日にかけてセンター内の放射線監視装置で極軽度の放射線値の上昇が見られ、直ちに県庁に知らせ、県内の放射線測定が強化されています。その後、始まった東京電力の計画停電にはエネルギーモンターが自家発電で対応しましたが、病院機能は様々な影響を受けました。そういう中で、3月27日以降、第1次から第4次まで医療救護班として計25名が、また行政応援として事務職員2名が現地に派遣され、復興支援に協力しています。

研究所の活動
 研究所では、2014年1月よりがんゲ/ム医療を追求する「プロジェクトHOPE」が臨床検査受託企業(株)エスをアール・エルとの共同研究として開始されました。研究所、病院の協働により、静岡がんセンターで腫瘍摘出手術を受ける患者の約1/3から腫瘍組織を採取し、次世代シーケンサーを用いて徹底したゲノム解析を行うプロジェクトです。2022年の時点で解析数は1万例に達し、その成果を元に診断薬の開発が進められています。

がんゲノム医療の実践。次世代シーケンサーの活躍

 

 研究所の患者家族支援研究部門でも、各種調査で集められた患者・家族の悩みや負担への助言を作成し、公開する「Web版がんよろず相談Q&A」、静岡県内のがん診療に関する医療資源を地図上で示した「静岡県あなたの街のがんマップ」、さらには、がんの薬物療法を受ける患者への詳細な情報提供手段として、「情報処方」のコンセプトに基づく「処方別がん薬物療法説明書」などの有益な情報公開が進みました。このうち、情報処方とは、薬剤を処方するのと同様、患者に必須な情報を提供し、理解を深めようとする試みで、静岡がんセンターにおける様々な場面での情報提供において重要な指針となっています。

疾病管理センターの活動
 疾病管理センターのがんよろず相談では、8名の医療社会福祉士が中心となって、対面で5,8 00件、電話で7,300件、その他を合わせ年間約14,000件の相談に対応するまでに強化されました。 2012年5月には患者図書館に患者サロンが併設され、対話や情報提供の場として用いられるようになりました。

ファルマバレープロジェクト
ファルマパレープロジェクトに関しては、2003年5月、政府内閣府の構造改革特区の指定を受け、さらに、2011年12月には、内閣府の新たな地域活性化総合特区に「ふじのくに先端医療総合特区」として指定され、地域企業や研究機関が大きな恩恵を受けることができました。その後の活動も、ライフサイエンス分野ではトップクラスの評価を受けています。

創設10周年記念の会
 2012年12月、静岡がんセンターは創設10周年記念の会を、三島駅北ロの東レ総合研修センターで開催しました。この事業に携わった約300名が集まって、旧交を温め合いました。

静岡がんセンター創設10周年の会。玉井直病院長の挨拶

(2012年12月15日)

会場風景

 

 発展期(2016 ~ 2022年度)

がん対策への貢献
この時期、静岡がんセンターは、国立がん研究センター、がん研有明病院と並び国内三大がん診療拠点として自他共に許す存在となりました。他に例を見ない先端医療の導入や患者家族支援活動といった取り組みは我が国そして静岡県のがん対策に大きく貢献しました。
 開設以来の取り組みは政府のがん対策に次々と取り入れられました。がんよろず相談は年間の相談数が1万件以上に達し、患者・家族にとって必須の支援機能と評価され、全国のがん診療連携拠点病院の全てに相談支援センターとして設置することが義務づけられました。また、静岡がんセンターで始まったがん患者のロ腔ケアやがんリハビリテーションやカウンセリングも、治療成績の向上や社会復帰につながることが明らかにされ、保険診療に収載され、全国に普及しています。
 がん対策推進基本計画は、2007年以来、数年おきに政府のがん対策推進協議会が策定し、政府のがん対策を規定する基本方針です。2017年に策定された第3期計画には静岡がんセンターの多くの成果が取り込まれました。診療関係では「チーム医療」「リハピリテーション」、患者支援関係の「相談支援」「情報提供」「就労支援」などは静岡発の取り組みで、「ゲノム医療」「手術、放射線、
薬物療法」「支持療法」「緩和ケア」「小児・AYA世代のがん対策」などの分野でもセンターの取り組みが計画立案に大きな影響を与えました。筆者は、2015年より協議会の委員を務め、2018年から4年間、会長を務めましたが、政府の目標の多くは、すでに静岡がんセンター職員の努力で達成されていることに感銘を受けました。

憲法8か条と新10カ年戦略
静岡がんセンターは、将来においても日本のがん対策をリードする存在を目指さねばなりません。そこで、2016年4月、経営戦略会議で、「静岡がんセンター憲法8か条」「新10カ年計画」という二つの文書を策定し、全職員への周知を図りました。

経営戦略会議の風景 静岡がんセンター憲法8か条

          

「憲法8か条」は、「基本理念」「患者への約束(三つの理念)」「基本方針」を踏まえ、職員の日々の行動原理を示した文書です。いずれも医療現場、研究現場の特性に鑑み、職員にスピード感を持ち、組織の管理、運営への積極的な関与を求めたものです。
 一方、「新10カ年計画」は、これまでに培ってきたセンターの強みを生かし、未来のがん医療に資する成果を目指した取り組みです。主に、部署横断的な取り組みを選び、これに各部門の独自の収り組みを合わせ、「理想のがん医療」を追求しました。その成果は、本書重要資料の「理想のがん医療」の箇所に、現在の進捗状況も含め詳しく記載してありますが、目標としたのは以下の12項目です。

1.「低侵襲性手術」は、内視鏡手術、鏡視下手術、ロポット支援手術を中心に、患者の生活の質(Quality of Life,QOL)のさらなる向上を目指す取り組みで、それぞれ、世界をリードする成果を上げ、診療ガイドラインや保険診療への導入に貢献しています。

2.「放射線・陽子線治療一体化」は、多くのオプションの中から患者にとって最適な照射技術を追求し、保険診療への拡大や緩和的放射線治療への展開を推進しました。

3.「がん薬物療法・情報処方」は、患者に臨床試験を含む最新の薬物療法を提供するとともに、患者・家族に充実した情報提供を行う試みです。情報処方とは、薬剤処方と同様、患者に必須な情報を処方し、理解を深めようとする試みで、がん薬物療法の処方別に説明書を作成し、ウエプサイトで公開し、全国の関係者によって利用されています。

4.「再発転移・原発不明病変治療」は、ややもすれば医療スタッフが消極的になりがちな進行した病巣への取り組みです。薬物療法や放射線治療とともに、外科、整形外科、原発不明科が中心となって手術を含む治療法を提案し、小冊子を作成して全国発信を続けています。

5.「がん診断標準化・高精度化」は、全ての診断技術について、結果を統合し、人工知能などの導入を図り、精度の高い診断に寄与する取り組みです。すでに商品化した、検査の診断支援ソフトウェアの経験などを踏まえ、人工知能を駆使した内視鏡診断や画像診断に取り組んでいます。

6.「支持療法・緩和ケア」は、がんによる症状や治療に伴う副作用・合併症・後遺症を和らげ、生活の質(QOL)の向上を目指す治療・ケアです。この課題には、病院を挙げて対応し、最期の看取り までをも含め積極的に取り組んでいます。

支持療法担当の職員集合

7.「AYA世代の診療・ケア」は、日本初のAYA世代病棟を活用し、小児世代とAYA世代に重なるがん患者を対象としています。特に、小児科、脳外科、整形外科などの患者に対し、優れた療養環境が提供されています。担当の医師、看護師とともに、チャイルドライフスペシャリストが小児の心のケアを担当しています。

8.「高齢者がん治療・ケア」は、がん患者の4割を占める75歳以上のがん患者に適切な治療・ケアを提供する取り組みです。センター内での現状整理を終え、診療上の課題への対応が進められています。

9.「発症前診断・予防的外科手術」は、がんゲノム医療における遺伝性がんの診療体系を改めようとする試みです。遺伝カウンセリング室を中心に臨床遺伝専門医と認定遺伝カウンセラーが担当しています。2019年から保険収載されたがんパネル検査によって国内の診療は進歩しましたが、静岡がんセンターが実施するプロジェクトHOPE研究によって、より多くの潜在的な遺伝性がんの存在が明らかにされつつあります。

10.「包括的患者家族支援体制の構築」は、静岡がんセンターで整備されたよろず相談、患者家族支援センター、患者図書館、化学療法センター、支持療法センターなどを有機的に結びつけ、患者、家族に切れ目ない支援を提供する取り組みです。2018年には体制がほぼ完成し、適切な運用を試しています。

11.「リンクナース制度、認定看護師教育課程」は、看護部門として、多職種チーム医療を実践するためのシステム作りと人材育成に向けた取り組みです。リンクナース制度では8種類の患者の症状や困難に対応する仕組みが完成しました。認定看護師教育課程は、すでに日本最大の5 課程が実施されていますが、2020年4月より特定行為研修を組み込んだ教育過程に機能強化され、全国から入学希望者が集まっています。

12.「プロジェクトHOPE」では、すでに集積された1万例のがん患者のゲノム情報と臨床情報を駆使して、がんゲノム医療の高みを目指しています。

各部門の活動
事務局は、2016年7月、手狭になっていた保育所を新たに新設し、130名の乳児幼児のケアを可能としました。
 病院部門では、毎朝の幹部会議や朝夕の申し送りを徹底し、診療面での充実と患者状況の共有を図りました。2016年8月には日本初の支持療法センターが活動を開始し、さらに、包括的患者家族支援体制の整備が進められました。

保育所開所式(2016年7月22日) 病院の朝の申し送り。高橋満病院長(右から二人目:現疾病管理センター長)、上坂克彦副医院長(右から三人目:現病院長)

                                             

 2018年9月には病院部門・研究所部門の協働による、がんゲノム医療「プロジェクトHOPE」の研究活性化を目指し、エスアールエル・静岡がんセンター共同検査機構(株)が設立され、全ゲノム解析を含む解析技術の充実が図られました。現在、がんゲノム医療のための検査システムの開発が進められています。また、これまでのデータをまとめ、日本版がんゲノムアトラスとしてウエプサイトで公開し、全国のがん専門医によって活用されています。こうした取り組みが評価され、センターは、がんゲノム医療連携病院( 2017年4月)、がんゲノム医点病院(2019年9月)とステップアップの後、2020年4月、厚生労働省によりがんゲノム医療中核拠点病院に指定されました。さらに、2019年には、国家プロジェクト「全ゲノム解析等実行計画」の策定を主導し、その後の研究進に当たっては主要実施施設として日本医療研究開発機構(AMED)の指定を受けています。
 この時期、静岡がんセンターの活動に大きな影響を与えたのが新型コロナウイルス感染症(コロナウイルス感染症2019)でした。2020年1月に日本で初めて感染者が見つかって以来、3年間にわたり第1波から第8波までの感染拡大が確認され、2022年度末の時点でも終息には至っていません。病院では院内感染と職員感染防止のため、感染症内科と感染症対策室が中心になって、全入院患者や有症状患者・職員・家族を対象としたウイルス抗原定量検査やPCR検査を徹底しました。さらに、全職員対象のワクチン接種も、2021年4月以降、5回実施しています。
 新型コロナウイルス感染症によって、患者・家族には、心ならずも大変辛い思いを抱かせてしまうことになりました。がん患者は、がん治療や全身状態悪化のため、免疫力が低下し、感染症に罹りやすくなっています。そこで、日々、千数百名に及ぶ外来あるいは入院患者を守るため、厳重な感染対策を実施しました。特に、入院中の患者との面会は原則禁止とし、重症患者であっても面会を極力、制限せざるを得ず、がん患者・家族の心のケアには逆行する対応になってしまいました。
 なお、静岡がんセンターの感染症内科は県内有数の陣容を誇り、静岡県の新型コロナウイルス感染症対策専門家会議などで中心的な役割を担い、今日に至っています。

ファルマバレープロジェクトの進展
 ファルマバレープロジェクトは、この時期、新たな進化を遂げました。2016年9月には、ファルマバレーセンターが研究所から隣接する旧長泉高校を改修した新拠点へ移転し、事務局とともに11の企業が入居しました。2018年4月、それまで所属していた公益財団法人静岡県産業振興財団から独立し、一般財団法人ふじのくに医療城下町推進機構として事業を開始し、2019年4月には公益財団法人への改組が完了しました。

ファルマバレーセンター新拠点と静岡がんセンター(2016年9月)

 

 2019年4月には、それまで企業支援が中心であった事業とともに、ファルマバレーセンター独自の取り組みとして、超高齢社会に備える「健康長寿・自立支援プロジェクト」を開始し、2021年3月の「自立のための3歩の住まい」モデルルームの開設など、製品開発に向けての活動を開始しました。
 また、2019年12月には、医療健康産業活性化の広域化を目指し、静岡県のファルマバレープロジェクトと山梨県のメディカル・デパイス・コリドーとの連携協定を結び、2021年4月からは、「ふじのくに先端医療総合特区」に山梨県を編入した形で総合特区を改組し、共同事業を開始しています。

静岡県と山梨県との連携協定締結式。川勝平太静岡県知事、長崎幸太郎山梨県知事と筆者(2019年12月17日)

 

 現況

  20年間のあゆみの中で、静岡がんセンターは、静岡県民を中心に“生活の質(QOL)”の向上を図りながら数万人の命を救い、”死の質(QOD) “に配慮しながら約2万人の最期を看取ってきました。
 静岡がんセンターの現況は、2022年4月時点で、1,614名の県職員、636名の業務委託職員、計 2,500名が勤務しています。県職員のうち、医療スタッフは、医師・歯科医師242名、看護師・看護助手827名、コメディカル等307名、研究所研究職30名の計1 ,406名、事務局スタッフは208名です。
 2021年度の診療活動は、年間の新規患者数が8,044名、うちがんと診断された患者数が5,369名で、手術件数は4,690件に達しています。日々の診療状況は、1日の平均外来患者数1,290名、病床稼働率86.1%、一般病棟の平均在院日数11.5日となっています。死亡退院患者数は、緩和ケア病棟と一般病棟を合わせ年間1,178名と日本最多です。
 がん治療は正確な診断に始まります。各診療科の診断技術とともに、中央診療部門の臨床検査、画像診断、内視鏡診断、病理診断などの連携により、我が国有数のがん診断部門が構築されています。
 がん治療部門においては、医療安全を重視し、最善の治療の提供を心がけています。手術では低侵襲性手術を積極的に導入し、世界的に見ても強力な手術治療実施機関として活動しています。放射線治療分野では、最新の機器を整備した放射線・陽子線治療センターが、個々の症例に最も適した治療を実施しています。薬物療法分野では、分子標的薬や免疫チェックポイント阻害剤の有効性
評価や術前・術後補助療法の確立に向けた数多くの臨床試験を実施しています。さらに、センターを特徴づける薬物療法副作用対策が、全診療科、全職種の協働によって推進されています。
 病巣の治療とともに、がん患者・家族の全人的ケアの実践は、静岡がんセンターの他に類を見ない特徴です。各部署の医療スタッフー人一人の取り組みが基本ですが、20年のあゆみの中で構築してきた包括的患者家族支援体制が大きな力を発揮しつつあります。この体制は、がんよろず相談、患者家族支援センター、化学療法センター、支持療法センター、患者図書館、看護研究部門などからなり、初診時から、入院時、手術時、退院時、そして最期の看取りに至るまで患者・家族に寄り添い、患者のその人らしい生き方を支えるよう努力しています。
 そのための取り組みとして、各部署に寄せられる相談件数の把握を重視しています。2021年度の実績で、年間、がんよろず相談17,000件、患者家族支援センター25,000件等の相談があり、静岡分類に基づく内訳では診療上の悩み29,000件、身体の苦痛5,700件、心の苦悩2,300件、暮らしの負担5, 000件で、各部署において、内容に応じた対応が進められています。
 研究所では、がんゲノム医療の実践をテーマに、病院との協働による2014年開始のプロジェクトHOPE、2019年開始の保険診療によるがん遺伝子バネル検査、2020年度開始の日本医療研究開発機構の全ゲノム解析研究などを推進し、同時に、新規ゲノム検査システムの開発を進めています。
 こうした診療・研究体制のための運営予算は、診療収入が約340億円、高度先進医療を実践するための一般会計繰り入れが約60億円、加えて、研究所の運営に約10億円が投入されています。
 ファルマバレーセンターは、静岡県、市町、金融機関からの派遣職員を合わせて38名の職員が勤務し、静岡県をはじめ国事業を活用した予算規模は、5億4,000万円となり、医療健康産業の集積と振興に取り組んでいます。

 

 未来へ~再び理想を目指して~

 静岡がんセンターの準備期8年間と開設後20年間のあゆみは、明確な計画を立て、決してぶれることなく理想のがん医療を目指した挑戦の歴史でした。それには、県民・患者・家族の支持と、静岡県及び県議会の強力な支援と、職員の不断の努力が重要な役割を果たしました。
 がん診療においては、治療成績と生活の質(QOL)の向上を追求し、全人的医療の観点から、包括的患者家族支援体制を構築し、患者・家族の苦痛・悩み・負担を和らげることに心を砕いてきました。こうした取り組みは、より洗練された形で未来に向けて継続していかねばなりません。また、三大がんセンターの一角を占める施設として積極的に高度がん診療技術の開発、導入に努め、臨床研究を推進することが大切です。そのため、臨床研究中核病院を目指す努力を続けています。
 20年のあゆみの中で「医学は科学、医療は物語」という言葉が生まれました。近未来のがん医療では、先端的医療とともに、患者・家族の苦痛・悩み・負担を和らげ、心のケアを実践することが求められます。患者・家族の心を支えることは、新たな「医療哲学」として大きなテーマとなるでしよう。センターは、がんよろず相談や患者家族支援センターの活動を中心に、この分野のフロントランナーです。将来に向けて、包括的患者家族支援体制のさらなる強化が期待されます。ここでは患者・家族への情報提供の在り方が重要で、患者図書館や研究所看護部門が培ってきた「情報処方」というコンセプトがキーワードとなります。今後、センター全体で、このコンセプトに則り、患者・家族が真に必要とする情報を提供することが必要です。
 研究所では、病院との協働により、がんゲノム研究をテーマとしたプロジェクトHOPEが大きな成果を上げ、三大がんゲノム医療実践施設の一つとして評価されています。がんゲノム情報は、将来のがん診療を一変させるパワーを秘めており、現在得られている成果を積極的に活用していく必要があります。
 ファルマバレープロジェクトは、過去20年間、静岡県の医療健康産業の活性化に貢献しており、政府によって地域産業活性化の全国的な成功例と評価されています。今後、医療関連企業の育成、超高鈴社会における健康長寿・自立支援プロジェクト、そして、医療城下町から住民のための暮らしの理想郷を目指す医療田園都市構想への発展を目指していきます。
 未来の発展は、優秀な人材によって支えられます。静岡がんセンターやファルマバレーセンターの開設当初には、理想を追って、全国、全県から優秀な人材が集まり、現在の発展に貢献しました。開設後20年間のあゆみの中で、静岡がんセンターでは、医師・歯科医師レジデント、認定看護師教育課程、多職種レジデント、連携大学院など医療スタッフの育成が他には例を見ないようなレベルで進められ、ファルマバレープロジェクトでも、医療関連ものづくりの人材育成が続けられました。これらを強化する形で、静岡がんセンターではがん診療や医療ものづくりのための医科系大学院「静岡がん研究大学院(仮称)」の設置の準備を進めています。
 本書を編纂するにあたり、準備期間を含め過去28年間を振り返ってみて、静岡県民やがん患者・家族のためのがんセンターを構築し、ファルマバレープロジェクトを推進してきた方向性、そしてそれをぶれずに追求してきた取り組みは正しく、大きな成果を上げてきたことを確認することができました。今後も、初心を忘れることなく、先端医療技術の導人と患者家族支援の強化の新たな取り組みを継続していくことをお約束いたします。静岡がんセンターとファルマバレープロジェクトの未来に向けての活動が、静岡県民にとっての現代の理想郷を形作り、超高齢社会を迎えた我が国が進むべき道しるべとなることを期待したいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

静岡がんセンター・ファルマバレープロジェクト 20年のあゆみ

静岡がんセンター・ファルマバレープロジェクト 20年のあゆみ