再発しないとは言いきれないと言われショックだった。再発の恐れと内臓の手術と違って外観が変化してしまったことに対して、自分自身を受けとめられないことをひた隠しにして元気ぶっていることが辛かった。
11年経っても再発の恐怖は常にある。
再発しないとは言いきれないと言われショックだった。再発の恐れと内臓の手術と違って外観が変化してしまったことに対して、自分自身を受けとめられないことをひた隠しにして元気ぶっていることが辛かった。
11年経っても再発の恐怖は常にある。
軽く転移もないと言われ、抗がん剤を打ち薬も服用していたのに、突然肺に転移しているといわれ「何で」と思った。頭にも腫瘍ができていたと言われ、とても落ち込み悩んだ。
母が体調を崩し入院し、その退院の日に自分のがんの診断を受け、経済的に父に負担が全部くるのではないかと悩んだ。
術後リハビリ体操をしていたが、右手が上がらず正常な生活ができるようになるか悩んだ。退院直後ひとり暮らしのために、家事一切ができないのではと困った。
自分はどのくらい生きられるのか。もしかしてこのまま本当に死んでしまうのか等。毎日毎日、死の恐怖に押し潰されそうだった。
手術をし、腫瘍マーカーが下がって1年後に再発。抗がん剤でマーカーも基準内になり、一息したあと再度マーカーが基準の10倍になり、現在に至っているが画像では大きな点は見いだせずマーカーで一喜一憂することに少々疲れている。
がんイコール死ぐらいの意識しかなかったので、告知を受けた時はとてもショックだった。絶対がんにかかる訳がないと思っていたので「どうして私が」の問いの繰り返しだった。告知後の何日間、自分がどんな行動をとっていたのか、思い出そうとしても覚えていない。
前向きに生きようと思うが、入院の際、同室だった方が亡くなると、ものすごく孤独感に襲われることがありとても恐くなる。
入院の頃、全てが初めてなので手術や入院等、自分がパニックにならないかと心配だった。抗がん剤と放射線治療中、何をしても泣けてきて涙が止まらない状態になってしまって困った。
ちょっとしたことがストレスになり、ドキドキしたり気分が暗くなったりした。
3番目の子どもを産んだ4年目で働くことができなくなり、住宅ローン、治療費の支払いに追われ、また3番目の子どもに障害のようなものを感じ、すべてが心配で自分を責め、追い込み、うつ病となった。今も薬が離せない。